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東京地方裁判所 昭和55年(レ)1号 判決 1981年4月27日

《住所省略》

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。) 中村勇一

右訴訟代理人弁護士 青木一男

《住所省略》

被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。) 藤村和夫

右訴訟代理人弁護士 中野冨次男

同 木川恵章

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  本件附帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人は、被控訴人に対し、この判決が確定した時は、金八万二五〇〇円及び内金二万二五〇〇円に対する昭和五三年七月一日から、内金一万〇五〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金三万八五〇〇円に対する昭和五四年九月一日から、内金一万一〇〇〇円に対する同年一二月一日から、いずれも各完済に至るまで年一割の割合による金員を支払え。

2  被控訴人のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1(一)  原判決を取り消す。

(二) 被控訴人の請求を棄却する。

2  本件附帯控訴を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  (附帯控訴の趣旨)

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(1) 控訴人は、被控訴人に対し、金五万四〇〇〇円及び内金三万七五〇〇円に対する昭和五三年七月一日から、内金一万六五〇〇円に対する同年一〇月一日から、各完済まで年一割の割合による金員を支払え。

(2) (主位的)

控訴人は、被控訴人に対し、別紙物件目録二記載の建物部分を明け渡し、かつ、昭和五三年一〇月九日から昭和五四年七月二二日までは一か月金三万七〇〇〇円の、同月二三日から右明渡済みまでは一か月金三万九〇〇〇円の、各割合による金員を支払え。

(予備的)

(ア) 控訴人は、被控訴人に対し、金九万七五〇〇円及び内金六万〇五〇〇円に対する昭和五四年九月一日から、内金一万五〇〇〇円に対する同年一二月一日から、内金二万二〇〇〇円に対する昭和五五年一一月一日から、各完済まで年一割の割合による金員を支払え。

(イ) 控訴人は、被控訴人に対し、金九万二〇〇〇円及び内金四万六〇〇〇円に対する昭和五三年九月二八日から、内金四万六〇〇〇円に対する昭和五五年四月一九日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 金員の支払につき仮執行の宣言

3  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  被控訴人の請求の原因

1  (賃貸借契約)

被控訴人は、昭和四四年三月二六日、控訴人に対し、別紙物件目録二記載の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を賃料は一か月金二万三〇〇〇円、毎月末日限り翌月分を支払う、期間は同年四月一日から二年間の約定で賃貸する旨の契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結して、これを引き渡した。

2  (特約)

(一) 控訴人は、本件賃貸借契約において、被控訴人に対し、保証金として金一三万八〇〇〇円を預託し、一年(一年未満を含む。)毎に金二万三〇〇〇円を償却して、期間満了により契約を更新する場合には、償却した保証金二年分金四万六〇〇〇円を契約更新時に補充する旨の特約(以下「本件特約」という。)をして、右保証金を預託した。

(二) 本件特約は、合意更新の場合だけでなく、法定更新の場合にも適用される。

3  (更新)

本件賃貸借契約は、二年毎に更新され、賃料は、それに伴い、昭和四六年四月一日からは一か月金二万五〇〇〇円に、昭和四八年四月一日からは一か月金二万七〇〇〇円に、昭和五〇年四月一日からは一か月金三万円に、それぞれ増額された。また、右更新の都度、それぞれ二年分の償却保証金四万六〇〇〇円が補充された。

4  (賃料増額請求)

(一) 本件建物部分の賃料は、従前の増額が極めて低率であったため、固定資産税の引上げ、地価の高騰、物価の上昇等により、又は近隣の賃料と比較して、不相当なものとなった。

(二) そこで、被控訴人は、控訴人に対し、昭和五二年一月三一日到達の書面で、本件建物部分の同年四月一日以降の賃料を一か月金三万五〇〇〇円に増額する旨の意思表示をした。

(三) さらに、被控訴人は、控訴人に対し、昭和五三年六月二一日到達の書面で、本件建物部分の同年七月一日以降の賃料を一か月金四万円に増額する旨の意思表示をした。

(四) ところで、本件建物部分の賃料の適正額は、昭和五二年四月一日以降は一か月金三万四〇〇〇円、昭和五三年七月一日以降は一か月金三万七〇〇〇円であるから、本件建物部分の賃料は、前記各増額の意思表示により、それぞれ右金額に増額されたということができる。

5  (契約解除)

被控訴人は、控訴人に対し、昭和五三年九月二八日到達の書面で、本件特約に基づき、昭和五〇年四月一日から昭和五二年三月三一日までの間の償却保証金四万六〇〇〇円を支払うように催告するとともに、右書面到達後一〇日以内に右支払をしないときは、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

6  (予備的賃料増額請求)

仮に本件賃貸借契約解除の主張が認められないのであれば、前記4の(一)のとおり本件建物部分の賃料は不相当なものになったので、被控訴人は、控訴人に対し、前記4の(二)、(三)の各増額の意思表示に加えて、昭和五四年八月二九日到達の書面で、本件建物部分の同年九月六日以降の賃料を一か月金四万円に増額する旨の意思表示をした。

ところで、本件建物部分の昭和五四年七月二三日以降の賃料の適正額は、一か月金三万九〇〇〇円であるから、本件建物部分の賃料は、右増額の意思表示により、右金額に増額されたということができる。

7  (償却保証金の支払催告)

被控訴人は、控訴人に対し、本件特約に基づき、前記5の支払催告の他に、昭和五五年四月一九日到達の書面で、昭和五二年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間の償却保証金四万六〇〇〇円を支払うように催告した。

8  (結論)

よって、被控訴人は、控訴人に対し、

(一) 控訴人が本件建物部分の賃料として昭和五二年四月一日以降一か月金三万一五〇〇円ずつ供託しているので、前記増額賃料に対する不足額は、右同日から昭和五三年六月三〇日までの一五か月間は金三万七五〇〇円〔(3万4000円-3万1500円)×15=3万7500円〕、同年七月一日から同年九月三〇日までの三か月間は金一万六五〇〇円〔(3万7000円-3万1500円)×3=1万6500円〕であるから、右両者の不足額合計金五万四〇〇〇円及び内金三万七五〇〇円に対する最後の支払期より後の日である昭和五三年七月一日から、内金一万六五〇〇円に対する最後の支払期より後の日である同年一〇月一日から、各完済まで借家法所定の年一割の割合による法定利息の支払を求めるとともに、

(二)(1) 主位的に、本件建物部分の明渡し及び本件賃貸借契約解除の日の翌日である昭和五三年一〇月九日から昭和五四年七月二二日までは一か月金三万七〇〇〇円の、同月二三日から右明渡済みまでは一か月金三万九〇〇〇円の、各割合による遅延損害金の支払を求め、

(2) 予備的に、(ア)控訴人が本件建物部分の賃料として昭和五二年四月一日から昭和五四年一一月三〇日までは一か月金三万一五〇〇円ずつ、同年一二月一日以降は一か月金三万七〇〇〇円ずつ供託しているので、前記増額賃料に対する不足額は、昭和五三年一〇月一日から昭和五四年八月三〇日までの一一か月間は金六万〇五〇〇円〔(3万7000円-3万1500円)×11=6万0500円〕、同年一〇月一日から同年一一月三〇日までの二か月間は金一万五〇〇〇円〔(3万9000円-3万1500円)×2=1万5000円〕、同年一二月一日から昭和五五年一〇月三一日までの一一か月間は金二万二〇〇〇円〔(3万9000円-3万7000円)×11=2万2000円〕であるから、以上の不足額合計金九万七五〇〇円及び内金六万〇五〇〇円に対する最後の支払期より後の日である昭和五四年九月一日から、内金一万五〇〇〇円に対する最後の支払期より後の日である同年一二月一日から、内金二万二〇〇〇円に対する最後の支払期より後の日である昭和五五年一一月一日から、各完済まで借家法所定の年一割の割合による法定利息の支払と、(イ)本件特約に基づき、昭和五〇年四月一日から昭和五二年三月三一日までの間の償却保証金四万六〇〇〇円及び同年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間の償却保証金四万六〇〇〇円の合計金九万二〇〇〇円並びに内金四万六〇〇〇円に対する催告の日である昭和五三年九月二八日から、内金四万六〇〇〇円に対する催告の日である昭和五五年四月一九日から、各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

二  請求の原因に対する控訴人の認否及び主張

1  請求の原因1の事実は認める。

2  請求の原因2の(一)の事実は認めるが、同2の(二)の主張は争う。

3  請求の原因3の事実は認める。

4  請求の原因4の(一)及び(二)の各事実はいずれも否認する。同4の(三)の事実は認める。同4の(四)の本件建物部分の賃料の適正額は争う。

5  請求の原因5の事実は認める。

6  請求の原因6の事実のうち、本件建物部分の賃料が不相当なものになったことは否認し、被控訴人が昭和五四年八月二九日到達の書面でその主張する賃料増額の意思表示をしたことは認めるが、その主張する本件建物部分の賃料の適正額は争う。

7  (本件特約についての控訴人の主張)

本件特約は合意更新の場合にのみ適用されるものであって、法定更新の場合には適用されないので、昭和五二年四月一日以降法定更新された本件賃貸借契約においては、控訴人には、本件特約に基づく償却保証金の支払義務はない。

したがって、右支払義務を前提とした本件賃貸借契約の解除は無効というべきである。

8  (賃料増額請求についての控訴人の主張)

(一)(1) 本件建物部分は粗末なもので、その価値が年々大幅に減少している上、昭和四九年ころ以降は地価の高騰や固定資産税等公租公課の引上げもほとんどないから、賃料を増額すべき事情の変化がない。

(2) 被控訴人の昭和五二年一月三一日到達の書面による賃料増額の意思表示は、合意更新の際の賃料条件変更の申入れであって、賃料増額の意思表示ではない。

(3) したがって、本件賃貸借契約は、昭和五二年四月一日以降法定更新されたから、右同日以降の賃料は従前どおり一か月金三万円である。

(二) 仮に被控訴人の賃料増額の主張が認められるのであれば、賃料の適正額を判断するに際して、以下の諸事情が考慮されるべきである。

(1) 仮に本件特約が有効であれば、保証金が一年毎償却されて被控訴人の収益となるのであるから、保証金の償却分は、実質賃料として適正賃料額算出にあたって控除されるべきである。

(2) 本件賃貸借契約は、昭和四四年三月二六日から継続しているから、新賃料は、新規賃料としてではなく、継続賃料として定められるべきである。

(3) また、本件賃貸借契約における賃料の改訂は、控訴人が賃借人という弱者の立場において被控訴人の要求を已むなく承諾したことによって行われてきたものであるから、従前の改訂賃料を基礎として新賃料額を定めることは控訴人にとって甚だしく不利益である。

(4) 本件建物部分は、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)の二階の階段際であって、一階の各室及び二階の他の各室に比べてその利用価値が低いので、右他の各室と同様に賃料を値上げすることは相当でない。

(5) 被控訴人は、大企業に勤務して高額の収入を得ている上に、数棟のアパートを所有して賃料収入も得ていて、生活が安定しているのに対し、控訴人は、低収入で妻子を扶養していて、生活が不安定であって、賃料が増加されれば生活が困窮するので、右両者の経済事情の相違も適正賃料額を判断する上の一事情として勘案されるべきである。

三  控訴人の抗弁

1  (本件特約の無効)

本件特約における保証金の償却が更新料の性質であり、あるいは、その償却分を補充することが契約更新の要件であるとして、しかも本件特約が合意更新の場合のみならず、法定更新の場合にも適用されるとするならば、本件特約は、借家人に著しく不利であり、借家法二条、六条に違反して無効である。

したがって、償却保証金の支払請求はいずれも認められず、また本件賃貸借契約解除の主張は失当である。

2  (背信行為と認めるに足りない特段の事情)

仮に本件特約が法定更新の場合にも適用されるとしても、償却保証金の補充債務は、賃貸借契約における要素たる債務ではなく、附随的な債務にすぎず、その債務不履行は、いまだ信頼関係を破壊するに至る事情とはいえないから、本件賃貸借契約解除の主張は失当である。

3  (賃料増額請求の意思表示の無効)

(一) 本件特約は、賃料の増額幅及び増額の方法を定めたものであり、その反面として、これと別異な方法による賃料増額、例えば意思表示による賃料増額を排除する合意を含むものであるから、被控訴人の賃料増額請求の意思表示は、本件特約に反して無効である。

仮に本件特約が右合意を含むものではないとしても、本件特約によって保証金が一年毎に金二万三〇〇〇円ずつ償却されていくのであるから、この上にさらに賃料の増額を求めることは不当である。

(二) 本件建物部分の賃料は二年毎に改訂されてきていて、控訴人、被控訴人間においては、賃料を二年毎に改訂することが契約の内容となっているし、賃料の二年毎の改訂は、一般社会において事実たる慣習となっているから、これに反する被控訴人の昭和五三年六月二一日到達の書面及び昭和五四年八月二九日到達の書面による各賃料増額の意思表示は、公序良俗違反により無効であり、また、権利の濫用である。

(三) 被控訴人の昭和五四年八月二九日到達の書面による賃料増額の意思表示は、原審における裁判継続中に、いわば報復的にされたものであるから、権利の濫用である。

なお、右意思表示による賃料増額請求は、原審における訴えの変更により追加されたものであるが、右訴えの変更は、請求の基礎に同一性がなく、民事訴訟法二三二条一項に違反する。

四  控訴人の抗弁に対する被控訴人の認否

1  控訴人の抗弁1の主張は争う。

2  控訴人の抗弁2の主張は争う。保証金は、控訴人が支払うべき賃料、保証金の償却その他の債務を担保し、かつ、被控訴人の建物建設費の補充ないし負担軽減の目的を有するものである。

そして、償却保証金を補充することが更新後の賃貸借契約の成立の基盤となっているから、右の不履行は、当然更新後の賃貸借契約の解除原因となるというべきである。

3  控訴人の抗弁3の(一)ないし(三)の各主張はいずれも争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因1、2の(一)、3、4の(三)及び5の各事実並びに同6の事実のうち、被控訴人が昭和五四年八月二九日到達の書面でその主張する賃料増額の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、本件特約に基づく控訴人の償却保証金の支払義務の存否について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、

(一)  被控訴人が受領した保証金には、賃貸借契約終了時において、控訴人に返還される部分と返還されない部分がある(被控訴人が保証金を受領したことは当事者間に争いがない。)こと、

(二)  保証金のうち、賃貸借契約終了時に控訴人に返還される部分は、本件賃貸借契約に関して控訴人が負担する賃料その他の債務を担保するもので、右債務の不履行があれば当然その額が減額され、債務不履行がなければ全額、返還されること、

(三)  保証金のうち、賃貸借契約終了時に控訴人に返還されない部分は、控訴人の前記債務を担保するものではなく、その債務不履行の有無にかかわらず、一年経過する毎に(一年未満で契約が終了したときは、その時点で)金二万三〇〇〇円償却され、その償却分は、二年の期間満了により契約を更新する場合に、二年分まとめて補充される(保証金が一年(一年未満を含む。)毎に金二万三〇〇〇円償却され、二年の期間満了により契約を更新する場合に、償却された保証金二年分が補充されることは当事者間に争いがない。)こと、

(四)  本件賃貸借契約においては、期間を二年間として(この事実は当事者間に争いがない。)、期間が満了した場合には、必要があれば当事者合意の上契約を更新することができる旨約定していたので、前記償却保証金を補充する「契約を更新する場合」とは、右合意更新する場合のことであること、

(五)  本件賃貸借契約においては、通常広く行われている礼金、敷金及び更新料の授受がなく、被控訴人本人は、保証金の償却・補充をもってこれに代わる合理的な方法と考えていたこと、

(六)  保証金を償却して、その償却分を合意更新する際に補充するということは、本件賃貸借契約独自のものではなく、賃貸借契約の締結に際し、一定額の金銭を保証金として受領し、礼金及び敷金を受領しない場合において一般的に行われているものであること、

以上の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、保証金の性質は、償却・補充の対象となる部分が礼金及び更新料(最初の賃貸借期間二年間に償却された部分が礼金、合意更新の都度補充されて、その後の二年間に償却された部分が更新料)で、その余の部分が敷金であって、本件特約の償却保証金の補充約定は合意更新の場合の約定であるということができる。

ところで、保証金が一年毎に償却され、二年の期間満了により契約を更新する場合に、償却された保証金二年分が補充されるという前記当事者間に争いのない事実は、保証金の償却の時期の点から考えてみると、右償却・補充の対象となる部分が受領・補充時に全額償却されないで、一年経過する毎に償却されることを意味しているから、その性質は、あたかも賃料の後払い・補充であるかのようであるが、これは、賃借人に有利になるように償却時点をずらす一方、特にその合意をすることが賃借人の抵抗により困難な場合も予想される更新料について、その授受を「保証金の補充」という名目で容易に行うことを目的としたものと解されるから、右償却の時期の点は、右部分を礼金及び更新料と認定することの妨げにはならないというべきである。

2  そして、《証拠省略》によれば、本件賃貸借契約は、昭和五二年三月三一日の期間満了の際、合意更新されず、同年四月一日以降法定更新されたものと認められる。そうすると、本件特約の償却保証金の補充約定は、右1に認定したように合意更新の場合の約定であるから、右更新には適用されない。また、法定更新によって本件賃貸借契約は期間の定めのないものとなったから、右法定更新後の契約においては、本件特約の償却保証金の補充約定が適用される余地はないし、右1に認定した保証金の償却の性質に鑑みると、本件特約の保証金の償却約定も適用されないというべきである。すなわち、本件特約は、保証金の償却約定も償却保証金の補充約定も、ともに借家法二条が規定する法定更新の場合の「同一ノ条件」には含まれず、法定更新後の契約内容にはなっていない。

したがって、控訴人は、被控訴人に対し、昭和五〇年四月一日から昭和五二年三月三一日までの間の償却保証金も同年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間の償却保証金も、ともに支払うべき義務を負担していない。

よって、右各償却保証金の支払義務の存在を前提として右各償却保証金と遅延損害金の支払を求める被控訴人の請求(請求の原因8の(二)の(2)の(イ))は、抗弁1を判断するまでもなく理由がないし、昭和五〇年四月一日から昭和五二年三月三一日までの間の償却保証金の支払義務の存在を前提とし、その義務の不履行を原因とする被控訴人の本件賃貸借契約解除の主張(請求の原因5)は、抗弁1及び2を判断するまでもなく理由がないから、本件建物部分の明渡しと遅延損害金の支払を求める被控訴人の請求(請求の原因8の(二)の(1))も理由がない。

三  次いで、賃料増額請求について検討する。

1  まず、賃料を増額すべき事情の変化があったか否かについて検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、民営家賃間代は年々上昇していて、昭和五一年は、昭和五〇年より年平均値で九・四パーセント、昭和五二年は、昭和五一年より年平均値で八・九パーセント、昭和五三年は、昭和五二年より七月の同月比で八・六パーセント、それぞれ上昇していることが認められる。もっとも、原審における被控訴人の本人尋問の結果によれば、右民営家賃間代は、継続賃料ではなくて新規賃料であることが認められるが、同時に、新規賃料が上昇すれば、継続賃料もそれには及ばないながらも上昇することが認められる。

(二)  《証拠省略》によれば、本件建物の価格及び固定資産税額は、ともに昭和五〇年度から昭和五三年度までは同額で変化がないこと、都市計画税額も、昭和五〇年度から昭和五二年度までは同額で変化がないが、昭和五三年度には対前年度比五〇パーセントの上昇を示していることが認められる。そして、いずれも成立に争いのない甲第一〇、一一号証のそれぞれの課税標準額、税額及び税率欄を比較対照することによって、右都市計画税額の上昇は、その税率が一〇〇分の〇・二から一〇〇分の〇・三に変更されたことに起因するものであることが認められる。

(三)  《証拠省略》によれば、本件建物の敷地である東京都台東区谷中七丁目三番一宅地六二一・九八平方メートル(ただし、昭和五一年七月二二日に同番一宅地四三二・五七平方メートルと同番八宅地一八九・四〇平方メートルとに分筆された。)の固定資産税額及び都市計画税額は、ともに昭和五〇年度より昭和五一年度の方が七・九パーセント増加しているが、昭和五二年度には、昭和五一年度に比べて、ともに一一・九パーセント減少していることが認められる。そして、前掲甲第一〇号証の備考欄に、《証拠省略》を考え併せると、右各税額の昭和五二年度における減少は、前記東京都台東区谷中七丁目三番八の宅地上に家屋番号三番八の一の木造スレート葺二階建共同住宅(床面積一、二階とも各五七・一五平方メートル)が昭和五一年四月一五日に新築されたため、特別に減額措置が講じられたことによるものであることが認められる。ところが、前掲甲第一一号証の備考欄によれば、昭和五三年度も右減額措置が講じられたことが認められるが、《証拠省略》によれば、本件建物の敷地の昭和五三年度の固定資産税額は、昭和五二年度と同額であるにもかかわらず、同年度の都市計画税額は、前年度より五〇パーセント増加し、昭和五一年度よりもさらに多額になっていることが認められる。

(四)  《証拠省略》によれば、本件建物の他の賃借人については賃料の値上げが実施されていること、特に、本件建物部分の階下にあって、本件建物部分と同じ広さ・構造の建物部分の賃料は、昭和五一年四月一日に一か月金三万三〇〇〇円に、昭和五三年四月一日に一か月金三万五〇〇〇円に、それぞれ値上げされていることが認められる。

(五)  《証拠省略》によれば、家賃、地代、衣・食・住費等、すべての物資についての包括的な価格の変動推移を示す消費者物価指数も継続賃料の変動推移を示す家賃指数もともに年々上昇していて、この傾向は昭和五四年においても変わりないことが認められる。

以上の認定事実によれば、控訴人と被控訴人が昭和五〇年の更新時に約定した賃料は、その後の右のような事情の変化によって、被控訴人が増額を求める各時点において不相当になったということができる。

2  次に、控訴人が被控訴人の昭和五二年一月三一日到達の書面による賃料増額の意思表示を争うので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、被控訴人は、昭和五二年一月三一日、管理人の訴外三浦春治を介して同日付書面(甲第五号証)を控訴人に交付したこと、被控訴人は、控訴人に対し、右書面で、同年三月三一日をもって本件建物部分の賃貸借期間が満了するので、引続き賃借を希望するのであれば、一か月金三万五〇〇〇円の賃料で再賃貸する旨通知したことを認めることができる。

控訴人は、右通知は合意更新の際の賃料条件変更の申入れであって、賃料増額の意思表示ではない旨主張するが、二年毎に賃料を改訂してきたという前記当事者間に争いのない賃貸借の経緯並びに前掲甲第五号証の「」部分の記載及び《証拠省略》により、被控訴人が賃料の値上げ率を控訴人については他の賃借人よりも低率に抑えている旨の認識を有していると認められること等に照らして、被控訴人が前記賃料条件で控訴人と合意更新することができず、法定更新された場合に、被控訴人が従前賃料あるいは前記賃料条件より低額で賃貸する意思を有していたとは到底解しがたい。

したがって、前記通知は、第一義的には、合意更新を前提としての新賃料額の提示であるが、それとともに、第二義的に、法定更新された場合における賃料増額の意思表示でもあると解するのが相当である。

3  さらに、控訴人の抗弁3につき、それぞれ検討する。

(一)  控訴人は、本件特約が賃料の増額幅及び増額方法を定めたものであるので、本件特約はこれと別異な方法による賃料増額を排除する合意を含む旨主張するが、本件特約が控訴人主張の右合意を含むものでないことは、二年毎に償却保証金の補充とは別に賃料増額が行われてきたという前記当事者間に争いのない賃貸借の経緯及び前記認定の本件特約の保証金の性格に照らして明らかである。また、保証金が一年毎に償却されて被控訴人の収益になるからといって、被控訴人が賃料の増額を求めることを不当とする理由はない。

(二)  控訴人は、また、賃料の改訂は二年毎にすることが当事者間の契約内容となっているし、それが事実たる慣習でもある旨主張する。確かに、本件賃貸借契約においては、二年間の賃貸借期間が満了する都度、さらに期間を二年間と定め、新賃料を合意して契約を更新してきたことが当事者間に争いがないから、二年間というその期間の短かさを考えるならば、右合意更新した二年間は賃料を据置く旨の合意があるというべきであるが、本件賃貸借契約は、前記認定のとおり、昭和五二年四月一日以降法定更新されているから、合意更新を前提にしての右賃料二年間据置きの合意は、法定更新された右同日以降には適用の余地がないし、法定更新された場合にも、賃料を二年間据置く旨の合意があったものと認むべき証拠はない。また、賃料の改訂を二年毎に行うことが事実たる慣習であると認めるに足りる証拠もない。

(三)  控訴人は、被控訴人の昭和五四年八月二九日到達の書面による賃料増額の意思表示が権利の濫用である旨主張するが、右意思表示が原審における裁判継続中にされたものであることは本件記録上明らかであるものの、これが控訴人主張のように報復的にされたものと認むべき証拠はないから、右主張は失当というべきである。

なお、右意思表示による賃料増額請求と訴えの変更前の当初の賃料増額請求とは、ともに同一当事者間の同一の建物部分についての賃貸借契約における賃料増額の紛争に関するもので、その増額の時期を異にした社会生活上一連の紛争であるから、その請求の基礎には変更がないというべきである。そして、右訴えの変更が著しく訴訟手続を遅滞させるような事情も認められない。よって、被控訴人の訴えの変更は許されるべきであって、右が民事訴訟法二三二条一項に違反する旨の控訴人の主張は失当である。

4  控訴人は、賃料の適正額を判断するに際して考慮すべき諸事情として種々の主張をしているが、新規賃料としてではなく、継続賃料として定められるべきであるという主張以外は、いずれも以下の理由により失当というべきである。

(一)  本件特約は、前記のとおり、法定更新後の契約内容にはなっていないから、もはや保証金は償却されず、償却分を賃料の適正額算出にあたって考慮するという余地はない。

(二)  継続賃料の適正額を判断するに際して、従前の賃料額を基礎とすることは当然のことである。ただ、従前の賃料額が何らかの特別事情によって適正額より高額あるいは低額であった場合に、その事情が増額賃料の適正額の判断に際して考慮されることになるにすぎない。もっとも、本件においては、右事情を認めるに足りる証拠はないから、従前の賃料額をそのまま基礎にして増額賃料の適正額を判断して差支えないというべきである。

(三)  控訴人は、本件建物部分は本件建物の二階の階段際であるから、その利用価値が一階及び二階の他の部屋よりも低い旨主張するが、原審における控訴人の本人尋問の結果によれば、本件建物の一階と二階とにはそれぞれの利害得失、一長一短があり、その利用価値に大差のないことが認められるし、二階の他の部屋と比較して本件建物部分の利用価値が低いと認めるに足りる証拠もないから、本件建物部分が本件建物の二階の階段際であることは、賃料の適正額を判断する上で特別考慮する必要はないというべきである。

(四)  控訴人は、賃貸人と賃借人の経済事情の相違も考慮すべきである旨主張するが、本件全証拠によるも、いまだ賃料の適正額を判断するに当たって、考慮すべきほどの事情を認めることはできない。

5  最後に、各増額請求の時点における本件建物部分の賃料の適正額について検討する。

(一)  原審における鑑定人小谷茂の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、利回り方式、消費者物価スライド方式及び家賃指数スライド方式によって本件建物部分の賃料をそれぞれ試算した上、その中傭値を採用して、昭和五二年四月一日、昭和五三年七月一日及び鑑定時(昭和五四年七月二三日)における各適正賃料月額を、それぞれ順次、金三万五〇〇〇円、金三万八〇〇〇円及び金四万円と決定しているが、《証拠省略》によれば、右鑑定の結果には、保証金の運用益及び償却額の取扱いに間違いがあったとして、右各金額からそれぞれ金一〇〇〇円少ない金額をもって右各時点における適正賃料月額と訂正していることが認められる。

(二)  しかしながら、前記のとおり、昭和五二年四月一日の法定更新の際における償却保証金の補充は認められないし、法定更新後は保証金はもはや償却されないから、保証金の運用益は、金一三万八〇〇〇円に対する金利ではなくて、昭和五〇年四月一日から昭和五二年三月三一日までの間の償却保証金四万六〇〇〇円を控除した保証金残金九万二〇〇〇円に対する金利を考えるべきであるから、年間金四六〇〇円(9万2000円×0.05=4600円)となる。

また、前記鑑定の結果では、火災保険料を諸経費の一つに入れているが、《証拠省略》によれば、鑑定人は、鑑定の際に本件建物に火災保険がかけられているかどうかを調べていないことが認められ、本件全証拠によるもこれを認めることができないから、火災保険料は諸経費の中から除外すべきである。

さらに、《証拠省略》によれば、本件建物及び本件建物の敷地である前記宅地の公租公課は、それぞれ、昭和五二年度においては、建物が金四万五二二九円、土地が金一二万三九五二円、昭和五三年度においては、建物が金四万八〇五六円、土地が金一四万六四九〇円であることが認められるから、本件建物部分に対応する公租公課を前記鑑定の結果中の算式によって算出すると、昭和五二年時点は金八七八一円となり、昭和五三年時点は金九七九五円となる。

(三)  そこで、以上を前提にして、前記鑑定の結果中の賃料の試算をやり直してみる。

まず、昭和五〇年時点における諸経費は、公租公課金八九八三円及び建物償却費金五万八九四七円の合計金六万七九三〇円であり、右時点における純賃料は、収入合計金三八万九九〇〇円から右諸経費を控除した金三二万一九七〇円であるから、純賃料の本件建物部分及びその敷地部分の基礎価格金四四七万円に対する利回りは、〇・〇七二(32万1970円÷447万円=0.072)となる。そして、昭和五二年時点の諸経費は、前記公租公課金八七八一円及び建物償却費金六万三一五二円の合計金七万一九三三円であり、昭和五三年時点のそれは、前記公租公課金九七九五円及び建物償却費金六万六七〇〇円の合計金七万六四九五円である。

よって、本件建物部分の適正賃料月額は、利回り方式による試算では、昭和五二年時点が金三万三二五三円〔(460万7000円×0.072+7万1933円-4600円)÷12=3万3253円〕、昭和五三年時点が金三万五一〇九円〔(485万3000円×0.072+7万6495円-4600円)÷12=3万5109円〕、鑑定時点が金三万八六二八円〔(531万6000円×0.072+8万5386円-4600円)÷12=3万8628円〕となり、消費者物価スライド方式による試算では、昭和五二年時点が金三万七四五九円〔(32万1970円×1.187+7万1933円-4600円)÷12=3万7459円〕、昭和五三年時点が金三万九三四一円〔(32万1970円×1.243+7万6495円-4600円)÷12=3万9341円〕、鑑定時点が金四万一〇七五円〔(32万1970円×1.280+8万5386円-4600)÷12=4万1075円〕となる(なお、家賃指数スライド方式による試算の数値には変更が生じない。)。

(四)  前記当事者間に争いのない賃料改訂の経緯によると、本件建物部分の月額賃料は、昭和四四年四月一日から金二万三〇〇〇円、昭和四六年四月一日から金二万五〇〇〇円、昭和四八年四月一日から金二万七〇〇〇円、昭和五〇年四月一日から金三万円であるから、賃料の上昇率は、当初の改訂が年間四・三パーセント、二度目の改訂が年間四パーセント、三度目の改訂が年間五・五パーセントである。よって、その上昇率を平均すると本件建物部分の月額賃料は、年間四・六パーセントずつ上昇してきたことになる。

そこで、右平均上昇率で本件建物部分の月額賃料が上昇した場合を仮定して、各増額の時点における月額賃料を算出してみると、昭和五二年四月一日には金三万二七六〇円、昭和五三年七月一日には金三万四六四三円、昭和五四年九月六日には金三万六五二四円となる。

(五)  以上を総合勘案し、これに前記認定の1の(一)ないし(五)の諸事実を考え併せると、本件建物部分の月額賃料の適正額は、昭和五二年四月一日から金三万三〇〇〇円、昭和五三年七月一日から金三万五〇〇〇円、昭和五四年九月六日から金三万七〇〇〇円が相当である。

6  そして、控訴人が本件建物部分の賃料として昭和五二年四月一日から昭和五四年一一月三〇日までは一か月金三万一五〇〇円ずつ、同年一二月一日以降は一か月金三万七〇〇〇円ずつ供託していることは被控訴人の自認するところであるから、右に認定した適正賃料額に対する不足額は、昭和五二年四月一日から昭和五三年六月三〇日までの一五か月間は合計金二万二五〇〇円〔(3万3000円-3万1500円)×15=2万2500円〕、同年七月一日から同年九月三〇日までの三か月間は合計金一万〇五〇〇円〔3万5000円-3万1500円)×3=1万0500円〕であり、さらに、同年一〇月一日から昭和五四年八月三〇日までの一一か月間は合計金三万八五〇〇円〔(3万5000円-3万1500円)×11=3万8500円〕、同年一〇月一日から同年一一月三〇日までの二か月間は合計金一万一〇〇〇円〔(3万7000円-3万1500円)×2=1万1000円〕である。昭和五四年一二月一日以降は、前記認定の適正賃料額と控訴人の供託額とがともに一か月金三万七〇〇〇円で同額であるから、不足額は生じていない。

そうすると、控訴人は、被控訴人に対し、借家法七条二項ただし書に従い、この判決が確定した時に、賃料の不足額合計金八万二五〇〇円と内金二万二五〇〇円に対するその本来の支払期(毎月前月末日)よりも後の日である昭和五三年七月一日から、内金一万〇五〇〇円に対するその本来の支払期よりも後の日である同年一〇月一日から、内金三万八五〇〇円に対するその本来の支払期よりも後の日である昭和五四年九月一日から、内金一万一〇〇〇円に対するその本来の支払期よりも後の日である同年一二月一日から、いずれも各完済に至るまで年一割の割合による法定利息を支払うべき義務があるというべきである。

四  以上の次第で、被控訴人の本訴請求のうち、(1)昭和五二年四月一日から昭和五三年九月三〇日までの間の賃料の不足額とそれに対する完済までの法定利息の請求は、前記限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきであり、(2)本件建物部分の明渡しと遅延損害金の請求は、失当として棄却し、これに対する予備的請求の一つである同年一〇月一日から昭和五四年八月三〇日まで及び同年一〇月一日から昭和五五年一〇月三一日までの間の賃料の不足額とそれに対する完済までの法定利息の請求は、前記限度において正当として認容し、その余は失当として棄却し、残りの予備的請求である償却保証金と遅延損害金の請求は、失当として棄却すべきである。

よって、控訴人の本件控訴は理由がないから棄却することとし、被控訴人の本件附帯控訴は一部理由があるから、これに基づき原判決を右趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条及び九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言の申立てについては、相当でないから、これを却下する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 宮﨑公男 裁判官 原優)

<以下省略>

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